【先端科学 お届けします】ボードゲームとフィールドワークで伝える風土病、野生動物との共生 北海道大学
初雪の季節を迎えた昨年10月29日、道東の北海道留辺蘂(るべしべ)高等学校(北見市)で、北海道大学科学技術コミュニケーション教育研究部門(CoSTEP)特任講師の池田貴子さんを迎えた出前授業が開催された。テーマは北海道の風土病として知られる「エキノコックス症(多包虫症)」と、病を媒介する地域のキタキツネとの関係について理解を深めること。今年3月いっぱいでの閉校が決定している留辺蘂高校。エキノコックス疫学の専門家を招いた最後の出前授業は、生徒が生まれ育った地域とのつながりを強く意識させる内容で進められた。

キツネと人間は生活リズムが違う
「キツネ、普段見ますか?」
授業の冒頭、池田さんは生徒たちに問いかけた。留辺蘂周辺では決して珍しい存在ではないというが、姿を目にする機会は多くないという。実際、参加した2人の生徒のうち、よく見かけると答えたのは家族が牧場を営んでいる1人のみだった。

しかし池田さんは「時間帯が合わないだけで、キツネはこのあたりで普通に暮らしている」と説明する。見えない=いないではなく、生活リズムが異なるだけというわけだ。
キツネは雑食で、時期ごとに取りやすいものを取って食べる。植物、木の実、トウモロコシはもちろん、昆虫やネズミなども食べる。特にエゾヤチネズミを好み、冬でも雪の下の動きを察知し、頭から雪にダイブして捕食することさえある。

「運悪く」感染し死に至ることも
エキノコックス症には、そんなキツネの生態が大きく関わっている。
エキノコックス症の原因となる寄生虫「エキノコックス」の幼虫はネズミの体内で育ち、そのネズミを食べたキツネなどの体内に移って成虫となる。成虫が産んだ卵(虫卵)はキツネの糞とともに野外に放たれるが、土や食べ物を介して再びネズミの体内に入り、サイクルを繰り返す。
人間がエキノコックス症に感染するのは、「運悪く」このサイクルに入り込んでしまった場合だ。虫卵が人間の口に入ると幼虫は肝臓に寄生し、成長・無性増殖する。数年~十数年間、無症状の潜伏期間を経て肝腫大(肝臓が大きく膨れ上がる病気)など重篤な症状を引き起こす。キツネの体内では実質的な悪影響はないとされるが、人間にとっては死に至ることもある恐ろしい人獣共通感染症だ。

共生とは「適度な距離を保つこと」
このようにキツネの糞は、人間にとって最も身近なエキノコックス症の感染源だ。そこで池田さんは、環境省や自治体が使用する「野生動物との共生」という言葉の意味を深掘りした。一般的には「協力し合う」イメージがあるが、生態学用語としてはむしろ「棲み分け」が正しい意味だという。つまり行政が目指すのは「居るべきところに、居るべき動物がいる」状態を指す。人間とキツネが共生できる環境づくりへの近道は、キツネを独立した動物として尊重し、適度な距離を保つことだと池田さんは強調した。
北海道の市街地ではキツネの出没が多くなり、対策が必要となっているのが現実だ。キツネは高い適応能力を持つ生き物で、都市環境に適応するとその場に住み続ける。人間の生活圏に強く依存しており、家庭ゴミを漁る光景もよく見られる。ゴミの捨て方に気を付けたり、餌付けを控えたりすることが、キツネを必要以上に人間の生活圏に近づけないためには不可欠だ。しかし、こうした対策は地域全体で取り組まなければ効果がない。

感染は北海道から本州へ
エキノコックス症は「北海道の病気」というイメージが強いが、池田さんは道外でも感染が拡大傾向にある可能性を指摘した。

道外では2001年までに計77人の患者が確認されているが、その多くは北海道や国外で感染した例だった。しかし、2000年代に入って状況が一変。北海道への渡航歴がない人やイヌの感染例が出始めており、さらに野犬の感染も確認され始めた。本州で初めてエキノコックスが発見されたのは2005年、埼玉県北部で捕獲された犬の糞からである。
野犬の糞からエキノコックスが発見されたことは、その地域でエキノコックスが増殖していることを意味する。池田さんは「エキノコックスはキツネやイヌと、ネズミが同じ場所に住んでいれば定着できるため、今後は本州でも生息地域が拡大する可能性が十分にある」と考えている。専門家たちの見解も、本州でエキノコックスの分布拡大が懸念されている点で一致しているという。

多層的な「入れない」「増やさない」対策を
エキノコックス症の拡大防止には、組織的・個人的な対策を多層的に実施する必要がある。
組織的な対策としては、駆虫薬(虫下し)を練り込んだ餌(ベイト)をキツネに食べさせる方法がある。半永久的に散布する必要があるものの、キツネと人間との距離が近い地域に限定すれば効果が高く経済的にも可能だ。
個人的な対策としては、何よりも「エキノコックスの卵を体内に入れない」ことが基本となる。

北海道の場合、牛舎番としてイヌを放し飼いにしているケースも目立つ。しかしイヌを媒介して人間に感染する可能性もあるため、控えるのが望ましいという。
エキノコックス視点で仕組みを体感的に学ぶ
授業では、池田さんが指導する北海道大学CoSTEPの実習で制作されたオリジナルボードゲーム「ECHINO!(エキノ)」が用いられた。遊びながらエキノコックスの感染予防法やキツネとの付き合い方を学ぶことができる、すごろく形式のリスクコミュニケーションツールだ。
ゲームの特徴は「エキノコックス視点」で展開されること。幼虫として無性増殖する「ネズミの体の中」、成虫になって卵を産む「キツネの体の中」、そして卵が環境中に排出される「糞」といった、エキノコックスのライフサイクルを模したエリアを進んでいく。プレイヤーはエキノコックスとしての成長と繁栄を目指すが、無情にも宿主の体外に排出されてイチからやり直しになるルールや、時には駆虫薬入りベイトによって根こそぎ退治される設定もある。
生徒たちは単に知識を詰め込むのではなく、エキノコックスの動物としての「生存戦略」視点のゲームを通じて、感染の仕組みと予防の重要性を体感的に学べたようだ。

サンプリングを通じて「正しく恐れる」
池田さんの出前授業は単なる講義にとどまらず、フィールドワークも併せて実施されてきた。過去には川の水からエキノコックスの卵が見つかるかを生徒と調べる試みも行われた。今回は学校の敷地内でキツネの糞の採取に取り組んだ。

キツネの糞に虫卵が含まれているかを確かめるには、糞を砂糖水(ショ糖)に溶かし、虫卵を浮かせて顕微鏡でその姿を直接見る「ショ糖浮遊法」や、新型コロナウイルスの検査法として知名度の上がった「抗原抗体反応」を用いた方法などが用いられる。今回採取した糞も池田さんが札幌に持ち帰り検査をしたというが、エキノコックスの虫卵は見つからなかった。
なお2024年の調査では、9検体中1つで陽性反応があった。このときは川の水も調査したが幸い虫卵は見つからなかったため、「正しく恐れる」意識の醸成につながったという。

漠然とした不安から、適切な認識への転換
生徒たちはこの日の出前授業について「画像や写真が豊富で聞きやすく、非常にためになった」と感想を述べてくれた。
またエキノコックスの存在は知っていたものの、具体的な感染経路や「虫卵を触るだけでは感染しない」「キツネとネズミがいないとエキノコックスは生きられない」といった詳細は知らなかったそうで、今回の授業でどう注意したら良いかが明確になったという。特に、身近にキツネがいるため感染リスクについて「怖いなと思いました」と正直な気持ちを吐露しつつも、対策がわかったことで「これからは大丈夫」と前向きな姿勢も見せてくれた。
別の生徒は、イヌがネズミを食べる可能性があること、そしてイヌもエキノコックスへ感染することに衝撃を受けたと振り返ってくれた。

生徒たちは最終的に「手洗いうがいと、糞に近づかないことが大事ですね」という結論に達し、これまでは「よくわからないけど気持ち悪くて怖い」というイメージが強かったエキノコックス症に対して、「正しく過ごしていれば防げる病気なんだな」と意識の変化が生まれていた。
大学や研究を身近に、進学意欲につなげる
池田さんの出前授業は今回で3回目。企画した留辺蘂高校教諭の鈴木茂智さんは「生徒にエキノコックスの正しい知識と危機意識を持ってもらうこと」と意図を述べている。また鈴木さんは、生徒たちに「家に帰って、学んだことを家族にも話してごらん」と促す。土いじりの後に手を洗わない親などに生徒がリスクを伝えることが、地域全体の感染症患者数を減らすことにつながって欲しいと期待している。
さらに、大学の先生を呼ぶ意義についても聞いてみた。「この地域には大学が身近になく、生徒にとって『大学ってどういうところ?』という意識が強い。北大の先生を招くことで大学の敷居を下げ、『こんな研究もあるんだよ』と視野を広げてもらえれば」と、将来的な大学進学への意欲につなげたい教育的な意図も含まれていた。池田さんの親しみやすい人柄や、疫学や科学技術コミュニケーションといった文理の間にある研究テーマも、招いた理由の一つであったという。

留辺蘂高、最後の生徒が架け橋に
エキノコックス症のリスクは現実として存在し、今後は北海道以外でも高まっていくと思われる。しかしキツネは生態系の一員であり、古くから人間と関わってきた美しい生き物でもある。
池田さんはキツネを単に排除するのではなく、彼らを独立した一種の動物として尊重し適度な距離を保つことが、共生できる環境づくりへの近道だと生徒に伝えた。今回の出前授業で生徒たちは「正しく恐れる」ための知識と、具体的な予防法、そしてキツネという神話などで古来から親しまれてきた「美しいお隣さん」と上手につきあうための方法を学べたことだろう。

留辺蘂高校はまもなく77年の歴史に幕を下ろす。最後の生徒に野生動物との関わり方を伝えた池田さん。校舎を出ると、夕暮れの空に虹がかかっていた。池田さんのメッセージが彼女たちの世代へ継承され、人間とキツネ、人間と自然の架け橋となることを期待したい。

関連リンク
- 北海道留辺蘂高等学校
- 北海道大学大学院教育推進機構オープンエデュケーションセンター科学技術コミュニケーション教育研究部門(CoSTEP)スタッフ「池田貴子」
- 北海道保健福祉部感染症対策局「エキノコックス症について」