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【先端科学 お届けします】「富岳」と高専をつなぐ 若い世代に開かれた計算科学 理化学研究所

科学コミュニケーター / 小熊みどり
掲載日
2025.06.27

 兵庫県神戸市にある理化学研究所計算科学研究センター(R-CCS)のスーパーコンピューター「富岳」。世界トップクラスの性能を誇っているが、富岳はあくまでも「計算機」に過ぎない。その性能を生かすには、使う側の分野横断的な発想が強く求められる。そうした思考を持った人材を、どのように育成すれば良いのか。6月4日に長野工業高等専門学校で行われた出張授業「『富岳』がもたらすより良い未来」からヒントを探る。

長野市中心部から車で20分ほどの場所に位置する長野工業高等専門学校。出張授業の取材当日は学生・教員30名ほどが集まった

電源供給に熱冷却…運用は計算と等しく重要

 富岳は、先代の「京」からバトンを引き継ぎ、2021年3月に運用を開始した。新型コロナウイルス感染症流行下では飛沫の飛散シミュレーションなどに使われた。性能の高さとユーザーの幅広さが特徴で、日本一の高さと広い裾野を持つ富士山の姿に重なることから「富岳」と名付けられている。ウェブサイト上のバーチャルツアーで施設を見ることができるが、432台の筐体(きょうたい)が並ぶ様子は壮観だ。

広大なフロアを埋め尽くす富岳(神戸市のR-CCS内)

 富岳の優れた性能を生かすには、計算を行うことと同等に、富岳を確実に動作させ、かつユーザーにとって使いやすい“運用”も重要だ。この日講師を務めた庄司文由さん(R-CCS運用技術部門長)は富岳の運用責任者として、電源供給や稼働に伴って発生する熱の冷却、さらには利便性向上などに取り組んでいる。

 最初に「富岳を知っていますか」と庄司さんが尋ねると、参加者の大半が手を挙げた。日本一のスーパーコンピューターが持つ知名度もそうだが、昨年春にも庄司さんは長野高専で講演をしたからだ。それをきっかけにR-CCSのインターンシップや、中・高・高専生向けイベント「スパコン『富岳』体験塾」に参加した学生もいる。

計算性能の高さが不可能を可能に、「NEXT」準備も始まる

 庄司さんは理研と富岳の概要に続いて、富岳を用いたシミュレーションによる近年の科学的成果を紹介した。富岳の活用例は、航空機設計における流体シミュレーション、気象のモデル計算、橋柱の振動予測など多岐にわたる。

 例えば2023年に気象庁が「線状降水帯予測スーパーコンピュータ」の運用を開始したが、これは富岳でのシミュレーションの有効性が認められたことによるものだ。雨が同一地点で長時間降り続き、洪水を引き起こす線状降水帯の発生予測は喫緊の課題であった。これが実現したのも、富岳の計算性能の高さによるところが大きい。

 この事例からもわかるように、シミュレーション精度の向上は様々な分野で不可能を可能にしてきた。さらなるニーズの高まりが計算性能をめぐる世界的な競争を激化させており、R-CCSでも次のスーパーコンピューター「富岳NEXT」の準備が進められている。

防災など一つの学問分野では解決し得ない社会課題を引き合いに、富岳の貢献を説明する庄司文由さん

利用をより簡単に、裾野広がる

 庄司さんは自身の仕事について、省電力化や冷却効率の向上に加え、「ユーザーが富岳をより簡単に使いやすくすること」だと話した。富岳をWebブラウザから誰でも使えるようにしたり、AIヘルプデスクを導入してサポートを手厚くしたりと、新しい試みに取り組んでいる。

 「車に例えると、先代の『京』はF1カーのようなもので、専門的な知識が必要で利用申請のハードルも高く、誰でも使えるものではなかったと認めざるを得ません。そこで富岳は、普通の車のようにスーパーコンピューターに詳しくない人でも使えるものを目指しました。その結果、富岳は若い研究者にも使ってもらえるようになり、利用される分野も広がりました」(庄司さん)

 様々な分野を横断しながら進んできた富岳の利活用。その裏側では、運用面の効率化や使いやすさを追求する努力が重ねられていた。徹底的にユーザーの視点に立った設計思想が富岳を今も世界トップクラスの地位に立たせていると、庄司さんは力を込めて語った。

先端技術を身近に感じさせつつ、ワクワクと興味をもたせながら話を進めていく庄司さん

最新技術に触れた出前授業、国を支える人材の育成に

 富岳や次世代機の運用を担う若手が必要なため、R-CCSは技術系人材の育成に積極的に取り組んでいる。運用技術部門では高専本科生のインターンを募集している。庄司さんは「インターンでは世界最先端の技術と人に触れられます。そうした環境に身を置くと、自分も成長できます」と学生達に参加を勧めた。

庄司さん自身の仕事内容を通じた講演は、知識の伝達にとどまらず説得力の高い内容だった

 講演後に情報エレクトロニクス系の4年生3人に感想を聞いた。彼らは昨年の体験塾で実際に富岳を使ったこともあるが、「最新の話を聞きたい」と今回の授業にも参加した。ちょうど部活動で全国高等専門学校プログラミングコンテストの予選に挑んでいる最中で、「今日は富岳の設計思想の独自性など詳しく聞けて、さらに興味が沸きました。富岳NEXTも楽しみです」と話した。インターンにも参加してみたいという。

 長野高専教授の伊藤祥一さんは、「学生たちがこうした出張授業を通じて、最先端の現場にいらっしゃる庄司先生にお会いして、スーパーコンピューターの世界を知ることができるのは非常に良い機会です。高い計算能力は国の力でもあるので、それを下支えする人材を送り出したいです」と述べた。

庄司さんと同じ研究室出身だという伊藤祥一さん

 参加した学生からは、急激に高まっている電力需要の問題など感度の高い質問も寄せられていた。これに対し、国内外の温暖化ガスの排出量を実質ゼロやマイナスとするカーボンニュートラルやカーボンネガティブを目指す取り組みを紹介した庄司さんは「先生方も学生さんたちもお忙しい中、まずこうした機会をいただけることがありがたいです。今回はたくさん質問もしてもらえて、手応えがありました」と話す。

 高専は実践的・創造的技術者の養成を目的とした機関だ。技術や性能を高めるのみならずユーザー視点の設計思想を貫く富岳の取り組みは、技術者を目指す高専生にとって今後の礎となる貴重な学びになったことだろう。出張授業は、R-CCSから高専にアプローチして行われることが大半だそうだが、依頼も随時募集しているという。

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