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劇物アンモニアを包み込み常温で固体、取り扱い楽に 兵庫県立大

草下健夫 / サイエンスポータル編集部(Science Portal サイエンスクリップ(2024.08.26)より再掲)
掲載日
2024.08.27

 通常は常温で気体のはずのアンモニアを、固体の状態で安定させることに成功した、と兵庫県立大学の研究グループが発表した。ホウ酸の集合体で包み込むことで実現した。次世代エネルギーの水素を貯蔵する手段として注目されるが劇物であるアンモニアを、飛躍的に取り扱いやすくする可能性を秘めた成果だ。この結果は当初から狙ったものではなかったといい、研究者は「自然の神秘に驚かされた」と振り返る。

キタイが大きいのに、キタイで扱いにくい物質

常温で、アンモニアの固体がホウ酸の集合体に包まれたもの。写っている物体は左右差し渡し1センチほど(兵庫県立大学提供)

 アンモニアは肥料や化学製品の原料として長く使われてきたが、近年はエネルギー分野で期待が高まっている。太陽光や風力といった自然エネルギーの発電は気象や時間帯などに左右されるため、必要な時に電気を取り出せる蓄電技術が必要だ。そこで、発電した電気で水を分解して水素を発生させ、貯めておく方法が有望。水素を大気中などの窒素と反応させ、アンモニアにして貯蔵することが注目されている。このアンモニアの製法は「ハーバー・ボッシュ法」として高校化学の教科書にも登場する。

 融点が零下78度、沸点が零下33度のアンモニア。常温では通常、無色透明の気体で、強い刺激臭や毒性があり、劇物に指定されている。約8気圧で液体となり、ボンベで保管する。広く普及させるには安全でより効率の良い貯蔵、運搬法を編み出し、扱いやすくしたいところだ。

エネルギー分野で活用が期待されるアンモニア

 さて今回のニュースは、そんなアンモニアを何かで包むと、常温なのに固体にでき、社会がオイシく味わえそうだということらしい。化学に疎い筆者は「『アイスクリームの天ぷら』みたいな話だな」と興味を抱き、研究を率いた兵庫県立大学名誉教授の森下政夫さん(化学熱力学)に連絡を取った。森下さんは同大を今年3月に定年退職しており、引退することも考えたが、今回の成果を機に「研究を止めにくくなった」と一念発起。4月から物質・材料研究機構で特別研究員として活動を続けているという。

5年前から思案していた実験、いざ挑戦

 取材の冒頭、筆者はこう尋ねた。「アンモニアを常温で固体にできれば小さくでき、しかも劇物なのに楽に扱える。こんなブレークスルーを目指して実験に臨んだのですね」。ところが森下さんは「うーん」と、しばし沈黙。「確かに、後から話を整理したら、そんな話になるでしょうね。と言うのも…実は論文やプレスリリースには表現しきれなかったのですが、研究は元々、全く別のことを狙っていたのです」と明かしてくれた。

 この研究は当初、水素を貯蔵する物質の一種である「アンモニアボラン(アンモニアホウ素化合物)」を、安価に作ることを目指したものだったという。「アンモニアボランはかなり高価だが、『こうすれば安く作れるのでは』という方法を、5年ほど前から温めていました。2人の学生の修士論文、卒業論文のテーマ選びを機に、やってみることにしました」

 具体的には、アンモニア水溶液に酸化ホウ素を溶かし、零下196度の液体窒素で冷やして凍らせ、水(氷の状態)を取り除くことで、アンモニアボランを作ろうという実験だった。

落胆とは逆の「そんな馬鹿な」が待っていた

 森下さんが「忘れもしない」と語る、昨年5月23日のこと。学生が「先生すみません、アンモニアボランはできませんでした」と落胆した様子で、生成物をエックス線で分析したデータを森下さんに報告した。

 「仕方ない、論文のテーマを変えようか」と声を掛けながら、他の分子のでき具合の結果も合わせて持ってくるよう、学生に指示した。すると驚いたことに、常温なのに固体のアンモニアの存在が際立っているデータが、森下さんの目に飛び込んだ。「そんな馬鹿な」。しかし特有のサイズや立方体で、確かにアンモニアの結晶だ。水溶液ではアンモニアがアンモニウムイオンに、酸化ホウ素がホウ酸イオンに変化。ここから水を除いたところ、ホウ酸の集合体がアンモニアを包む込む形になったとみられる。

常温におけるエックス線分析の結果。縦軸は検出量に相当する。青い丸印がアンモニアの固体を示す。グラフの左右にわたり、ピークを持たずなだらかに分布しているのがホウ酸の集合体。白い四角がアンモニアボラン(兵庫県立大学提供)
アンモニア固体の重量を調べた。温度が52度(グラフの横軸、絶対温度の325度)を超えると蒸発が進んだ(兵庫県立大学提供)

 しかも加熱したところ、常温を上回る52度まで固体であり続けた。本来のアンモニアの融点は零下78度で、そこから実に130度も固体を維持したことになる。計算により、このアンモニアが常温で固体を保つことを理論的にも確認した。「例えるなら『沸騰したお湯に入れた氷は解けるが、ラップで包んだら解けなくなる』ような話。こんなこと本当にあるわけないという気がしたが、しかし、世界初の成果となりました」と森下さん。元々目的としていたアンモニアボランもわずかにできていたという。

 劇物のアンモニアは水溶液にするなどしない限り、大学や研究所でそのまま扱うのは難しい。「気体や液体では当然、学生さんに扱わせるわけにはいきません。ところがこの実験では臭いが全く感じられず、つまり固体を維持しており、不安を感じることが全くありませんでした」

エネルギー利用、一大変革の可能性

アンモニア固体の結晶構造の模式図。窒素原子(N)に3個の水素原子(H)がつながったアンモニア分子(NH3)が4個で、結晶の単位を構成する。隣接する分子も描かれている(兵庫県立大学提供)

 アンモニアを常温で固体として取り扱えれば、人類にとってはるかに優しい物質になる。水素を貯蔵する物質としても、利用可能性が広がる。「これまで人間は、固体のアンモニアを工業材料として扱う発想を持っていなかった。もし実用できれば、エネルギー利用の革命的な変化につながる可能性がある」(森下さん)。

 この成果は英王立化学会誌「RSCアドバンシズ」に5月27日に掲載され、兵庫県立大学が先月25日に発表した。

 今後の課題は何よりも、アンモニアが常温で固体を保つメカニズムの解明だろう。ここには、何らかのエネルギーが作用しているはず。筆者が取材前に連想した「アイスクリームの天ぷら」だと、衣の中のアイスクリームは冷たさを保っている。それに対しこの成果では、中身のアンモニアが常温なのに固体である点が根本的に異なり、ここにこそ解き明かしたい謎があるようだ。

 この謎に関わっていそうなのが、ホウ酸を構成するホウ素(B)と、アンモニアを構成する窒素(N)による、強固で知られる「B-N結合」。この結合か、結合によって拘束されたアンモニアに生じる圧力が作用していそうだという。

 アンモニアから水素を取り出すには、400度以上に加熱する必要があるが、森下さんは、より低温で済ませる方法も研究している。また実験ではアンモニアを固体にするため零下196度の液体窒素を使ったが、より高温で行う方法も検討の余地があると言う。

やってみないと分からない、科学の魅力

兵庫県立大学名誉教授の森下政夫さん(オンライン取材画面から)

 「水素エネルギーという実用の点で有望な成果です。ただ私が面白いと感じたのはそれ以前に、130度も固体の状態を維持できること。これには驚き、自然の神秘を感じました。アンモニアは基礎科学として面白い物質で、宇宙に豊富にあります。例えば太陽系では天王星や海王星の内部などにみられます。生命誕生に不可欠なアミノ酸にも関連します」(森下さん)。

 今回の成果は、努力を続ける人が偶然、狙っていたものとは別の価値ある事柄を見いだすことを意味する「セレンディピティー」の産物と言えそうだ。科学技術史上、エックス線やペニシリンの発見などが、セレンディピティーの代表例として語られる。研究は地道な作業で、出口を見込んだ通りの予定調和の展開ばかりとは限らない。

 森下さんはこう語る。「人智の及ばない奇跡的な物理現象に出くわし、学生さんと興奮し、一研究者として大きな喜びを得ました。この現象を見逃さなかったのは30年以上、熱力学の基礎研究を続けて来たからかもしれません」。“やってみないと分からない”科学の価値と魅力を、改めて垣間見る取材となった。

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